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地吼の月

現在の情勢

天聖暦1047年、地吼の月。
「名も無き乱世」の時代は続いている。いや、まだ始まったばかりなのかもしれない。
妖魔王国バーネッツと手を結んだ死都サーゲオルーグは、未だ目立った動きを見せていない。
というより、確たる情報が得られない状況だ。噂では以北に侵攻し、大半を手中にしたともいわれる。
その際に幾つかの港町が失われており、バーネッツと共同で海軍力を増強しているという。
バーネッツは、しばしば軍を動かして人間の都市を攻め、その幾つかを自国に併呑している。
その経済・軍事の総合力は余りに強大であり、組織的に立ち向かえる都市は存在しないといわれる。
ゼクスセクスも、幾つかの政策(強行手段含む)に失敗し、完全に王国としては崩壊している。
他の元2国から比べれば、人間側の都市が残っている方であるが、それは砂漠という盾があるからに他ならない。
他の人間側にある各都市は、ほとんどが自治都市のような体を成しており、「国」はもうどこにもない。
「都市」と「都市」が、「人間という種の存続」を賭けて協力し合うという、瀬戸際まで追い詰められていた。

「…未来が無いですねえ」
私はここまで書き上げると、インクが切れた羽ペンを放り出した。
「なに、今に英雄が現れて、何もかも解決してくれるさ」
軽い口調で安易な英雄待望論を口にしたのは、上役の分室長である。
「またそんな、心にも無い事を言う」
「無くも無いさ。皆思ってる事だろ」
自分じゃない誰かに重荷を負って欲しい。矢面に立って、自分達を苦境から救って欲しい。
そんな事を言って韜晦しながらも、この分室長は独立不羈の人である。
過去何度かガウディが危機に陥った際も、自ら街中を駆け巡り、正確な情報で人心を安らげた。
本当はこんな辺鄙な出張所の分室長におさまっている人ではないのだが…
「…で、なんで今頃そんなもの書いてるんだ?」
「あ、ええ、今回の資料の前書きにしようと思いまして」
慌てて紙面に視線を戻したが、その紙面は横から伸びた分室長の腕に持ち去られてしまった。
「なんだ、肝心のガウディのことが書かれてないぞ」
「今から書くところだったんですっ」
言って、再び記録紙を取り戻すと、羽ペンを拾い上げてインク壷にペン先を突っ込んだ。

一時は王都と呼ばれたガウディも、王国の崩壊に伴い、千年都市ガウディと再び呼ばれている。
都市を守る「蒼の竜騎士団」と「白の近衛騎士団」は今も変わらず精強であり、周辺の治安は揺ぎ無い。
人々の妖魔に対する危機感から、自警団もその規模を拡充し、人数も装備も充実したものとなっている。
また、この数年の間に農村アンウィルが再建を果たし、主に旧村民や外周区の人々が移住している。
今は以前ほどの規模ではないが、年々ガウディに運ばれる穀物の量も増え続けている。
ここには蒼の竜騎士団が定期的に巡回し、この有数の穀倉地帯を妖魔の手から守り続けている。
他の自治都市との関係は目だったものはなく、商人がそれぞれの規模や才覚で取引をしているに留まる。

「…こうしてみると、ガウディだけが平和って感じですね」
「俺に言わせれば、ルヴィちゃんの頭の中も随分平和だがね」
「どっ、どういうっ…」
激昂して立ち上がりかけた私に、分室長はまあまあと手をひらひらさせた。
「理由は、もう君が先に書いてしまっているよ。…妖魔軍は、もう港を幾つか手に入れているんだ。
これまで、ガウディは港から海へという逃げ場があったが、これで完全に陸と海から包囲されてしまう。
一年も完全包囲されてみなよ、街中では人食なんて当たり前の行為になってるぜ」
分室長の言葉に、私は一気に血の気が引き、立ち尽くした。随分と顔色も悪くなった事だろう。
そういえば、近頃評議会で海軍の編成と軍艦の増設が議題に上がったという記事を見た事がある。
評議会は前向きな姿勢を示し、シーポート海軍から専門家が何人か招聘されたという話だった。
「…まあ、そういう最悪のケースもあるって話さ」
しばらくして、室長のやや気がかりそうな声が耳に入ってきた。よほどひどい顔をしていたのだろう。
私は力なく椅子に座り込んだ。過酷な現実を目の前に突きつけられた気分だった。
「もう地上に平和な場所なんてどこにもないんですね…」
呟いた私の声に、分室長が煙草に火をつけながら、ちらりと視線を向けた。
「一つ、言えるのはここ、ガウディが人類最後の砦になるだろうという事だ。
…ここが落ちた時、人類の歴史は終わる。これまで築き上げてきたものも、
たかが数百年分の記録も、全て灰となり消えて、記憶の中だけに存在するものになるだろうな」
「…誰の、記憶にですか?」
顔を上げて問いかけた私の声に分室長は答えず、ただ紫煙をふーっと天井に吹き上げただけだった。
「まあ、メシでも食いに行こう。要は食べられるうちに食べておけってことさ」
「…はい。お供します」
立ち上がり、上着を着込みはじめた分室長に続いて、私も壁に掛けた外套に手をやった。
旧冒険者ギルドの中はいつものように静かで、依頼人も、冒険者もほとんど見かけない。
願わくば、この平穏がいつまでも続きますように。
かなわぬ願いと知りながら、誰にとも無く、私は心中密かにつぶやいた。


茸狩り

天聖暦1047年 地吼の月 翡翠の森

晩秋の冷たく澄んだ空気が、森の中を風となって静かに吹き抜けていく。
風の掌に撫でられた木々の葉が触れ合い、衰えた葉面がかさかさと鳴る。
その木の枝のひとつに、まるで森の風景の一部の様に少女が横たわっていた。

魔物が棲み、「入れば二度と出られない」と恐れられる「翡翠の森」。
その最奥部に程近い、息詰まるような濃い森気の中、少女はすうすうと寝息を立てていた。
やや小柄な身体に、狩人の装備を身につけ、淡い黄金色の髪は秋色のバンダナで巻きしめている。
「森の守護者」とも呼ばれるエルフ族かとも思われる容姿だが、特徴とされる耳は明らかに人間のものだ。

静かに、少女は目を開いた。生気溢れる碧の瞳が輝き、次の瞬間その身体は宙を舞っていた。
苔むした岩場を、天高い木々の間を、清らかなせせらぎにかかる倒木の上を、少女は駆ける。
森に棲む様々な動物、魔獣、生き物が駆けて行くその姿を見やる。―やがて森の入り口。
外から差し込む眩しい光の中に、大柄な人影を見つけた少女は、自らの予感にそっと微笑んだ。

―始まるのだ、面白い事が。


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