人には思い出がありそれは心の中に残るだけではなく、時に記憶として留めておくための儀式として……ちょっとした遊びをしたことがある者も多いのではないだろうか。思い出の形は人それぞれではあるが、隠れた【迷酒】というのがある。
それが始まったのがいつからなのかと問われればはっきり知っている者の数もたかが知れているが、20年以上続いていることだということだけは確からしい。なにが確かかというと、ガウディの外周区にあるとある野営地では、ガウディの街中に宿を取るほどの金の無い隊商や旅団や旅人などが立ち寄り、不思議な風習が生まれたのだという。
その不思議な風習とは、自分が作った酒を野営地に旅の安全祈願や旅の無事を祝うために埋めるというものだ。その埋められた酒が、旅により体も心も疲れ、しかも金が無い者たちの心と喉を潤しているという。
そんな奇妙な風習にまつわる話に関係する出来事について知ったのは、ひょいと冒険者ギルドへ足を運んだ時、その依頼人がちょうどギルドの者から酒瓶を受け取るところにいきあったからだ。興味を惹かれたこともあり、ともかくいきさつから聞き始めたのだが、思った以上にそれは面白い話だった。
ガウディの冒険者ギルドにその依頼をしたのは、昔その名を馳せたとある商会の幹部のものであった。
「久し振りに飲みたい……のだが、あいにくともう老体でね。代わりにとりにいってきてもらってよいだろうか。噂では、あそこに止まった旅人が怪我をしたりするという話も聞いている。変な者が住み着いているなら、ついでに「掃除」も行ってもらえればと思う。あぁ、年代は特に気にしなくてよいよ、1026年のリントスが確か一番の名酒だった覚えがあるが……まぁ、新酒もよいな。新しくあそこを知ったものが何で酒をつくったのかも気になるし。結局、あそこにあるのはモノによっては嫌がらせそのものだし。それが楽しみのひとつでもあるのだから、出てきたものをいただくことにする」
その幹部は穏やかに冒険者ギルドの受付に告げたという。その依頼は冒険者ギルドが馴染みとしている酒場を通じて冒険者に依頼され、果たされ、翌日、依頼人は冒険者ギルドで、渡されたその酒瓶から、一口分だけをグラスに注ぎ、ゆっくりと口に含んだ後、その味に目を白黒させたという。
「これはフレイアの作品か。いや、ひどいなこれは……だが、美味い」
その瞳は懐かしさからだろうか潤んでおり、しかし、その顔は満足気だった。私も一口もらったが、それはそれはひどい味で……だが、それを作ったのが15年前のフレイアだという事実に、15年前の彼女の姿と今の彼女の姿を思い浮かべ、やはり美味いと感じてしまった。舌でなく、心で飲む酒とはよく言ったものである。
「彼女を知っている者たちにも少し分けてやってくれ。あと、残った分はまたあの野営地に戻しておくように手配を頼む。あと、新しくこの酒瓶を埋めておいてくれ」
その幹部は新たに金を積んでギルドの受付の者に告げると満足した足取りでギルドを後にしたのだが、この酷い時代の中で、あのような晴れやかなすばらしい笑顔を見ることができてどこか救われたような気持ちになるとともに、仕事を果たした冒険者たちにもちょっとだけ感謝していた。
そう、このような酷い時代の話を聞くために私は冒険者ギルドを訪れたのだから。
ガウディの地下には迷宮のように地下水路などが張り巡らされていることは有名だが、奇妙な物音が地下から聞こえるという話があり、冒険者ギルドは冒険者を抱える各酒場に調査の依頼を出し、久し振りに大ねずみが住むあの地下への入り口が開かれたのだが、そこでは驚くべきことが起こっていた。
これまでならば蝙蝠やら、大ねずみやらが出現するはずだったその場所はまさに闘技場での見世物闘技の敵役となる獣たちの楽園と化していた。調査に参加した冒険者たちからの報告では、普段ならば鉄格子により区切られているはずの闘技場地下の区画の鉄格子が内側から破られての流出事件になったらしい。
「どうしようもなかったんですよ。昨年から獣たちが暴れて、獣使いたちにもどんどんと手がつけられなくなって……だから地下に閉じ込めて餓死を狙ったのに、それがあの頑丈な鉄格子を破ってしまうなんて」
闘技場の関係者はそのように告げたが、ガウディ評議会はその夜のうちにただちに騎士や関係した酒場の冒険者たちを派遣して掃討戦を開始し、ある程度掃討するとともに、各所に配置されている鉄格子の補強などに努めたが、全体のどの程度まで獣たちを掃討できたのかは未知数だという。
すでに地下内各所に逃走した獣たちは大ねずみたちを捕食し、その数を増やしているかもしれないというから、今後地下にもぐるさいにはさらなる注意が必要になったといえるだろう。
「まったく、迷惑な話だな。しかし、地下の住人たちはたまらんだろうなぁ」
私は呆れつつも、最近の獣たちの状況にはきな臭い何かを感じずにはいられなかった。
「妖魔種にとって悪いことは、人類種にとっても悪いことになる典型的な例だな」
久しぶりの甘い茶菓子とともに妻が用意してくれた紅茶を飲みながら、窓際でだんまりを決め込んでいる彼に私は声を投げかけていた。彼は無言で、その件について興味が無いのか、それとも何も話す気がないのか、口を開くことは無かった。
「で、酒の件だが」
「……いつのまにあんなに酒が有名になったんでしょうねぇ。ほんと、徐々に徐々に増えていって、いまでは穴を掘れば酒瓶にあたる……ってぐらい埋まってますからね。無作為に埋められたのを掘り起こしてきちんと並べなおす作業とかかなり骨なんで」
私が切り替えた話題に、彼はげんなりした顔で告げていた。
「でもまぁ、よいだろう。そうそう、フレイアの酒を戻して、しかも新しい酒をいれてきてくれたんだろ。」
「……えぇ、ただ今回の件でフレイアが嫌がらせをしましたので、あの地中貯蔵庫から酒を出すのはきっと今後は骨が折れますよ。セッツァーが鍵をかけ、それにセルゲイスとハミルトンが魔法のロックとかをかけ、さらにフレイアがなんか封印のようなことしてましたから」
彼の言葉に私は笑うほかになかった。苦い思い出は、確かに見られると恥ずかしいものだと思いながら……あの味を次の楽しめるのはいつになるのだろうと。私があそこに置いた酒はまだ残っているのだろうかと……ふと、そんなことを思ってしまった。
記事:ウェイト=オン=サンク