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紅玉の月

夏の思い出

天聖暦1045年・・・紅玉の月


夏の思い出



ガウディ評議会が用意したヴォンジア島ヴォンガへのバカンスは、多くの者たちに一夏の素晴らしい思い出を与えることになったのではないだろうか。
青い海、青い空、白い砂浜、緑の森、そんな島に幻想を抱き、その旅路を決意した者たちの多くが旅を始めてすぐに幾多の出来事に驚きを隠せなかったのではないだろうか。
それが良い意味での驚きであったのか、それとも予想外による戸惑いだったのかは旅人たち一人一人で感想が異なるところであろうが、ヴォンガへの往路の船旅の時点で多数の妖精の目撃情報があったり、人魚たちとの邂逅があったりと、海燕号の乗員たちも驚くほどの出会いの数々であり、しかも、それが全て友好的な出会いであったことは更なる驚きでしかなかったのではないだろうか。
「実際、昨年の神滅の月以降……確かに海路にも様々な怪奇と言えるような現象が増えたが、これだけ頻繁に妖精やらを含めた幻想種に出会える船旅は五十年船の上で暮らしていて初めてだよ」
そう言って潮で焼けた真っ黒な顔に真っ白な歯を見せて笑った老人の顔にはどちらかというと諦めに近いような苦笑が浮かんでいたのが印象的だった。
「時代が少しずつ変わっているのを感じているよ。それがいい方向なのか悪い方向なのをかを知るには、私はもうこの海の上での人生が長すぎるだろうし……今更陸に上がる気にはなれないからね」
その苦笑は悟りきった笑みであったのだと知り、そしてその言葉がバカンスを楽しむために船に乗る若者たちへのささやかな忠告であると気が付くのはもう少し後のことであったが、その老人には海という人生の舞台があって、その舞台の上で自分の人生の幕を下ろす覚悟をしているのだということを知ることは容易であった。
ガウディからヴォンジア島のヴォンガへの船旅は何もなく風も穏やかであれば十日と少しで終わりを告げることになる。
最初の二日は海を見て過ごすだけで十分に休暇気分を満足させてくれるが、それ以上となると何も娯楽が無ければ退屈な時間に押し流されてしまいそうになる。
だからこそ、退屈な時間に押し流されそうになっている頃になって久しぶりに見るヴォンジア島という陸地の姿にはそれだけで魔力があるかのように旅する者たちの心をひきつけたのではないだろうか。
それは陸を人生の舞台としている者たちにとって、板一枚隔てたところにある海が死を連想させるだけの冒険の舞台であり、自分の人生の舞台は海ではないのだと心の中で理解していたからこそなのだろう。
それにしても、船旅を終えて到着したヴォンガの街に一歩足を踏み入れて最初に感じたのはこの街の「豊かさ」であった。
多分、ガウディからの多くの者たちが驚いたのはその街を包む陽気な雰囲気であり、陽気な雰囲気を醸し出しているのは陽光が街全体がしっかり包み込んでいるという点だったのではないだろうか。
街壁が低く、朝日も夕日もしっかりと受け止めることができるこの街はガウディとは異なり風の匂いに濃密な森と海の香りが練りこまれていた。
白い砂浜でじりじりと肌を焼くような陽光の中に身を置きながら、押し寄せては引いていく波を見続けていると、ガウディでは感じられないような穏やかな気持ちになるし、緑の多い森の中で清涼な空気を吸いながら森林浴を楽しめば、風で揺れる木々の葉の摺れる音の中で眠りに落ちてしまいそうになってしまう。
実際、ヴォンガの街が魔物に襲われるようなことは滅多といっていいほどに無く、森からの恵みと海からの恵みに感謝して生きているのだということは数日の滞在の中ですぐに理解するところとなった。
ガウディのように時間に縛られることは無く、一日が本当にゆっくりと過ぎていくように思えたのは、この街の人々の表情が喜怒哀楽を含めて本当に豊かであり、そして朝日と共に目を覚まし、日が沈めば酒を飲み、心地よい酔いの中で眠りに付く……そんな当たり前でありながら、どこかガウディでは忘れられてしまった時間がこの街への旅人である者たちに対して、休暇という楽しい時間を自然に与えてくれていたのだろう。
海辺でも森でも様々なロマンスが生まれ、ガウディへと戻る日が近づくにつれて多くの旅人たちがこの夏の思い出を一夏の思い出とするのか、一生のものとするのかを苦悩する姿は傍観する側として非常に好ましく思えたし、実際、幾つかの結婚式がこの街で執り行われることとなったのは、自然な流れなのだろうと思う。

最後になるが、ガウディへの帰還のために海燕号に乗り込むための準備に取り掛かろうと、名残惜しく日焼けの跡をさすっていたあの日、ヴォンガの街から見えたあの大樹の姿を一生忘れることは無いだろう。
それほどまでにあの聖杯の姿は幻想的であり、秘密に包まれた都市の神秘性には感嘆の吐息を漏らすしかなかった。

「それで、このバカンスの真っ最中にどこへ行くって?」
すでに半袖の麻のシャツと短パン姿でこの島の暑さを楽しむための服装に転じていた私は、自分の目の前で明らかに準備していたと思われる装備の点検を行っている人物に向かって問いを発していた。
「……行きたくて行くわけではなく完全に強制連行ですよ。ですので、貴方は奥さんと楽しくこの島でのバカンスを楽しんでもらえればと思います。私は汗と泥に塗れつつの地獄のような時間にこれから突入しなければなりませんので」
「なるほどな。お前さんに強制ということは、なんとなく話は見えたが……せっかくの海だ。お前さんのことは完全に頭の中から捨て置いて楽しませてもらうとするよ」
着々と旅の準備を始めている彼に対して告げながらも、同行したいと思う気持ちは無いでもなかった。
だが、同行を申し出るにはどうやら危険な旅であることを、彼の細められた視線が告げているように思えてしょうがなかった。
「何にせよ。お互いに次に会う時は心身ともに万全になっていたいものだし、それを期待することにするとしよう。こちらは当たり障りの無い夏の思い出を。お前さんは……まぁ、そういうことだな」
私の言葉に彼が深々とため息を漏らしたようだった。それでも常に約束は人を束縛し、約束があるからこそ人は再び出会えるものであると私は思っていた……


記事:ウェイト=オン=サンク

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