« 迷宮森殿(第一話) | メイン | 迷宮森殿(第二話) »

大陸を歩む者たち(女神の奪還)

舞台背景:死都サーゲオルーグ ある貴族の屋敷
天聖歴1045年、遥照の一日

陽光がその色を白から紅に変化させていた頃……一条の稲光が空を走った。余りにも不気味なその空の色と稲光に、人々は明日に迫った処刑日に対する不吉な想いをはせていたのではないだろうか。

陽光が翳りを見せ、夜の帳が落ち、月が世界に満ち……緑薫の月から遥照の月へと移り変わる頃、黒い雲が急速に夜空の星と月を覆い隠し始めていた。
ポツリポツリと……やがてそれはまるで涙が激しい嗚咽に変わるかのような激情をさらけ出すような豪雨へと変わった。
「雨か」
決行の日を明日に控え、その雨に何を思うのだろう。妙齢の女性が窓の外に降る雨に呟きを漏らし、漆黒の闇に自分自身の全身が映るほどの大きな窓に手を当てていた。
「窓際は危ないですよ。お下がりください」
「心配性だな。この屋敷ならば安全なのだろ。大丈夫、危険に身を晒す日は明日だ……それまでは妖魔王も手を出してこない。そういったのはお前じゃないか」
にっこりと笑むその笑顔はまさに豪雨の中にあってさえ輝く太陽の如きそれであったのではないだろうか。
それでも、声の主のしかめっ面にむーっと口をへの字に一度だけ曲げ、彼女は窓の側を離れ、室内の大きなソファにその身を沈めた。
「血族には悟られずになんとかここまで準備を整えられたのはクワール家の助力があってこそだな。娘さんはガウディで冒険者をしていたこともあると聞いたが、やっぱりガウディの冒険者はどこにいっても手助けをしてくれて助かるよ。うんっ」
妙齢とは思えない軽妙な口調でありながら、その明るさが言葉の端々から感じられることに共に立つ彼は安堵を覚えつつ……やはり、明日を迎えることが不安であった。
「今回の件、どうしても実行に移されるのでしょうか。まだ間に合います。今なら……退けます」
幾つもの戦場を彼女と駆け続けてきた彼にとって、彼女の肩に圧し掛かっている重荷の重さも、彼女という存在の大きさも一緒にいるからこそ理解しているつもりであった。そして、一緒に戦い続けてきたからこそ、日々高まる彼女への期待に危惧を抱いてもいた。
「貴方自身が仰られていたように今回の件は罠です。そして、罠だと知りながらそれを食い破ろうというのは今でも賛成できません。できることなら仲間と共に貴方の体から自由を奪ってでもこの場から連れ出したい。貴方にはそれだけの価値があり、私たちの誰でもない貴方にだけその価値があるのですから」
「説教くさいことをいうなぁ。これでも三十路を越えてるんだぞ。そんなに言われたら私がただの馬鹿か言うことを聞かない子供みたいじゃないかっ」
ぷっと頬を膨らませた彼女に「そのとおりじゃないですか」と言い返そうとした彼は彼女の視線と真っ向からぶつかって……その言葉を吐き出すことができなくなった。

真っ直ぐに自分へと向けられる瞳には迷いが無かった。
真っ直ぐに自分を見つめる瞳には如何なる感情も無かった。
恨みも、恐怖も、希望も、喜びも、悲しみも……全ての感情が混ざり合った結果として如何なる感情であると見極めることができなかった。

「アンガルスクには……父親も母親もいなかった。ゼクスの王宮でアイツは持てる才覚の全てを発揮して己自身を守り、己自身の価値を認めさせた。アイツが非凡であることは認めるし、アイツが強いことも知ってる。だけど、アイツには決定的に足りないものがある」
手元にある細剣をすらりと抜き放ち、その魔力に満ちた刀身を眺め……彼女はその切っ先をやや遠くなった真っ黒な窓へと向けた。
「その決定的に足りないものを何で埋めるかによって、アイツが如何なる王となるのかが決まるような気がするんだ。アイツには真っ白な輝きを放つ太陽であって欲しい。私のようになってはいけないと思う。だから……こんな無茶をするんだ」
刀身はやがて鞘に収められて、輝きは鞘の中に消えた。鞘の中に収められたのは刀身だけではないと……彼女よりも長く生きる彼ははっきりと彼女の意図を悟り、それゆえに複雑な表情となっていた。
「もしもの場合、私のことは心配しないでくれ。分不相応な方々が私の配下として数々の戦場を駆け抜けてくれたことを誇りに思っているし、感謝している。だから、貴方も私と共に戦った日々を誇ってくれると嬉しいな」
満面の笑顔だった。満面の笑顔の眩しさに、彼はその笑顔を直視できず、その言葉の重さに、不覚にも涙が溢れていた。
「できることなら貴方の配下として生死を共に……」
涙をこらえ、あまりにも貴重なその涙を零さぬために必死に耐えながら……彼はその言葉を胸の中に押し込んだ。
人にはそれぞれの役割があり……彼には彼の役割がある。彼女と共にありながら、彼と彼の仲間は彼女と共に死ぬことを許されることはない。それが彼の使命……王の七剣としてアンガルスクを補佐するためにある命という使命。己の感情と使命の狭間で業火に焼かれながら、それでも彼は彼女と共に歩み続けることはできない。
それは怒りであり悲しみであり絶望であり……逃れられない宿命だった。ゆえに、彼は涙を悟られる前に一礼を施し……部屋を後にした。
部屋の外に出ると、警備に立っていた二人の彼の仲間が出てきた彼に視線を向け……そして、部屋の外で聞くとはなしに二人の会話を聞いていた彼等の目にも涙があった。
感情と使命の間で揺れるのが己一人ではないことを知りながら、それが彼女の孤独を意味していることであると思い知らされ、彼は溢れる涙を堪え切れずにぼろぼろと零した。
震える肩を、二人の仲間がそっと支え……彼はその両の手で己の顔を覆わずにはいられなかった……。

室内に一人残った彼女は立ち上がると再び己の全身を映す窓の前に立った。
「シュタットにも、ジェイドにも、グレイにも、リントスにも、ハングにも、シュテラにも、シンシンにも、ロンロンにも、ヒデにも、シャンクスにも、カルにも、ビリーにも……数え切れないほどの蒼竜亭の仲間たちには世話になったよなぁ。明日も、きっと迷惑をかけるんだろうけど、馬鹿とかいわれないように気をつけないとなっ」
星が、月が、より大きな光である陽光の前で無力となるのと同じように、アンガルスクという太陽の前では自分は翳った太陽であるべきであると思い、何より【復讐】を糧としてしまっている自分は落陽にしかなりえないと彼女は思う。
「あたしが信じるのはあたしをルデュと呼ぶ奴だけ。だから血族も信じない。あたしはあたしの信じた方法で、信じた道を行く……母さま。親不孝な娘に育ってごめんなさい。いつか、その瞳を治して一緒にこの緑美しき季節を共に歩きたかった」
最後の懺悔の言葉を聴くものはその部屋にはいない。今、デュセスの女神は【豪腕】の名を持つ天真爛漫な冒険者に戻ろうとしていたのかもしれない……

舞台背景:死都サーゲオルーグ地下
天聖歴1045年、遥照の月一日

陽光がその色を白から紅に変化させていた頃……一条の稲光が空を走った。余りにも不気味なその空の色と稲光に、人々は明日に迫った処刑日に対する不吉な想いをはせていたのではないだろうか。

サーゲオルーグの地下では血族たちが最後の仕上げを地下道に施すために動き回っていた。激しい稲光も、夜になって降り始めた激しい豪雨も地下には関係なく、血族たちは地下道の各所に発火性の高い油を樽に入れて用意しては並べていた。
「準備は順調か」
音も気配も無く現れた血族の長……ダブルブラッドの登場に血族の者たちは動きを止め最敬礼を示すが、彼はその最敬礼の動作を片手で制して作業を続けるように告げた。
「順調です。明日は妖魔を含め、如何なる存在が侵入したとしても検知し、火でその行動を封じ込めます。もちろん、すでに幾つかの出入り口の上には障害物が置かれているあたり、頻繁に出入りが行われていた出入り口について妖魔側もチェックをしているということなのでしょう」
「その程度は予想の範囲内だ。もちろん、それ以上のことについても予想の範囲内だがな」
冷たい瞳の持ち主は明日という日が待ちきれないと言わんばかりに笑みを浮かべた。その笑みに込められる感情の度合いが高まれば高まるほど笑みの冷たさが増すことをダブルブラッドに声を掛けた者は知っていた。
「長は……どちらに付くのでしょうか」
それは何気ない問いであり、何の意味も持たないような問いだったのかもしれない。しかし、次の瞬間……声を発した主の首筋からは逆流した滝のような血が心臓の鼓動にあわせて噴き出していた。
実際、問いを発した者は自分の身に何が起こったのかもわからないうちに己の生命の飛沫を撒き散らしてその命に終わりの時を迎えていた。
音も無く懐に仕舞われた手にどのような獲物が握られていたのかもわからない。だが、ダブルブラッドが何かをしたから声の主の命は絶たれたのだということを作業を続ける者たちはその手を一瞬たりとも止めることも無く理解していた。
星の数を数える者に無謀という言葉を告げるように、ダブルブラッドが如何なる理由で如何にして殺したかを問うこともまた無謀であるということを血族の誰しもが理解していた。
「得になる方……いや、得になるということは【強者】ということか。安心しろ。俺は長だからな、損になることはしないさ」
血族において絶対強者であるダブルブラッドが漏らした言葉に頷く者も誰もいなかった。頷く必要もなく、彼の言葉が絶対であることを知っていたし、その言葉に対して反応することを自分たちの長が求めることはないとわかっていた。
先ほどのはただの独り言。
たった今その命を奪った存在に対する遅くなった返答でしかなかった……

舞台背景:死都サーゲオルーグ近郊 南西方面
天聖歴1045年、遥照の月一日

陽光がその色を白から紅に変化させていた頃……一条の稲光が空を走った。余りにも不気味なその空の色と稲光に、人々は明日に迫った処刑日に対する不吉な想いをはせていたのではないだろうか。

「すっげぇ稲光だったな」
ジークフリード=フォン=ノキアは激しい稲光にきゃっきゃとはしゃぎながら、一瞬暴れた馬をあっさりと落ち着かせていた。
その視線の先には死都サーゲオルーグの姿と、その前に陣取っている妖魔軍の姿があった。
「こりゃ、今日の夜は雨が降るな。雨が降ると地面がぬかるむから機動力が失われちまうが……雨の間は空を飛ぶ警戒も当然いなくなるだろうし、いくつか仕掛けとかをやっとくにはちょうどいいかもしれないな。と、エイベルゲン卿。サーゲの布陣はもう確認しているな」
「はい。奴隷を死兵として用意しているようです。あれで我々の士気を下げるつもりなのでしょう」
「いや、俺のところの軍の士気は下がらん。邪魔する奴は全て敵だ。おめおめと敵に味方するならそれが如何なる理由であろうと俺は許す気は無い」
一刀両断……そう表現するしかない言葉に、エイベルゲンの顔に困惑の色が浮かび上がった。そして、その困惑の色をジークフリードは見逃さなかった。
「間違えるなよエイベルゲン卿。俺たちの役割は陽動であり、脱出路の確保だ。間違ってもサーゲの民の救出なんかじゃない。目的を果たすために精鋭を預かっていて、この精鋭が一人死ねばガウディでもリオンでも泣く奴がいるんだ。サーゲの奴隷なんぞ知ったことか。ヌルいこと考えていると……死ぬぞ」
ただでさえ数では劣勢。さらにこの雨により地面が柔らかくなれば機動力も削がれる……それでも勝利しなければならないという困難な状況を的確に捕らえるジークフリードの顔には一切の迷いも見受けられなかった。
その迷いの無い顔を見つめ、エイベルゲンは改めてため息を吐き出していた。
「これが器の差というものなのでしょうか。貴殿の強さに改めて敬意を表します」
「何を言っている。器の差とか言っている時点で考えが間違っているんじゃないのか。俺たちは俺たちができる精一杯のことをするだけだ。その目的は明確に定まっている。サーゲオルーグ奪還だというのなら俺もサーゲの民のことも考えるが今回は違う。目的を果たすための手段は可能な限り自分たちにとって不利益とならない方法を選ぶ……強いのではなく臆病なのだ。身内の不幸という奴に耐えられないから身内じゃない奴に不幸になってもらおうという壮大なる責任転換だ……それはそうと、奇妙な話が来てる。これは俺と貴殿だけの間の話にしておいて欲しい。多分、知っているか知っていないかで、下手をすると戦況が変わるからな」
突然真剣な表情となり、周囲の護衛たちを追い払ったジークフリードが馬を近づけてきて自分の耳元で告げた内容にエイベルゲンの顔色が見る見る間に変化していった。
「なんと……そんな」
「妖魔王の非凡さが窺い知れる話だろ。これは俺の予想だが、妖魔王は今回の件はどのような方向に転がったとしても最終的には奴が望んだ結果になる……つまり、俺たちはどれだけ頑張ったとしても妖魔王の手の平の上で転がされているってことなんだって気がしてくるわけだ。正直腹立たしいが……だからこそ、サーゲの奴隷死兵たちに容赦するつもりはないというわけだ。多分、奴は俺たちの軍の側へと防衛の指揮に出てくるだろう。自惚れといわれるかもしれないが、奴からすれば万が一にも門を破られるわけには行かない。だからこそ俺の方へ引き付けることができるだろう。ここまで言えば、先ほどの件の意味……もうわかるな?」
「貴殿が自惚れていないことはわかりました。その話……確かに我々にとっても切り札となります。信じるか信じないかといわれれば、貴方の自惚れを信じさせていただきます」
「俺が討ち取られる前に……上手い事頼む。幸い、夜は雨だろうから、仕込みをするだけの時間は与えられた。向こうからしたら不自然な動きではないしな」
ジークフリードの言葉に力強く頷き、そして、軽く拳をあわせるとエイベルゲンは己の操る馬の向きを変えた。
時間が許す限りやれるだけのことをやる……全てはサーゲのためではなく、自らが預かる騎士とそして騎士たちの帰りを待つガウディの民のために。
自らの胸のうちにあったサーゲの奴隷死兵に対するわだかまりを捨てきれたわけではない。ただ、己の成すべき事がはっきりと見えた今、エイベルゲンの顔からは苦悩の表情が消えていた……

舞台背景:死都サーゲオルーグ
天聖歴1045年、遥照の月一日

陽光がその色を白から紅に変化させていた頃……一条の稲光が空を走った。余りにも不気味なその空の色と稲光に、人々は明日に迫った処刑日に対する不吉な想いをはせていたのではないだろうか。

豪雨となった雨音が激しく街中の石畳を叩きつける……そんな音が響く中、その建物の一室に十数人の冒険者風の者たちが集まっていた。彼等の顔には疲労の色が濃く、車座になっている彼等の中央には保存食と僅かな酒が置かれ、まるで最後の晩餐の時のような緊張感の中でのささやかなる宴が催されていた。
「しかし、火付けをする側からするとこの雨は厄介だな。まぁ、明日には晴れることを神様にいのるだけだが、降り続いたなら外套を被っていられるというのは顔を見られない意味で非常にありがたい……上手く利用できるかどうかが全てだな」
「確かに、色々あったが、それでも確認事項は全て終わっている。どうやら得た情報に間違いは無い……これであればデュセス嬢が出てくる理由もわかるというものだ」
「だからこそ奪い返す。そう、何もかもを奪い返す……この地で墓も遺品も無く死んでいった仲間たちのためにも」
「あぁ、仮に俺たちが失敗したとしてもリオンから潜入している者たちもいるし、あのジョン=クラウンたちもいる。きっと上手くいく。次はこんなしけた食事と酒ではなく、盛大で豪快な宴を催そう……それこそガウディを上げての宴会だ」
その場にいたものたちが宴会の一言に軽い笑いを漏らし、緊張感は少しだけ和んだように思えた。
「勝利とともに生きて帰ろう。ただ生きて帰るのではなく、勝利と共に」
一人が軽く酒の入ったグラスを掲げ……それにあわせてその場の者たちがグラスを掲げた。
このグラスを飲み干せば、あとは一人、一人とこの場を離れ、それぞれの持ち場へと散っていくことになる。
中にはこの雨を利用しての作業を行うために命を賭ける者たちもいる。
それを知るからこそ、この一時の酒は美味であり、そして思い深くなる酒だったのではないだろうか。
命を賭けた日々の終わりが近づいてきている。
そして、命の最後の一片までもを完全燃焼させる時間が訪れようとしていた……
千年都市ガウディに戻る

Copyright(C) RPGNET Japan. All Rights Reserved.
掲載情報の著作権は RPGNET Japan に帰属します。
Copyright(C) Heaven's Gate Project. All Rights Reserved.